1987年、高校1年生の時・・・。中学校の時と同様、高校にも体育大会はあった。ただし、中学は全学年で11クラス程だったが高校では25~27クラスになって規模が大きくなった。入学間もない頃だったかまず団分けがあった。抽選というかくじ引きだったかもしれない。1組と5組が赤(赤鷲)、2組と9組が黄(黄獅、おうし、かな)7組と8組が白(白虎)、4組と6組が青(青龍)、3組はバラバラになったと記憶している。自分は青団だった。
夏休み前だったか体育大会に先立って出場種目を決めるミーティングがあった。その場で、自分は最終競技の色別対抗リレーの選手に選ばれてしまった。それが始まりだった。
「これはすごい事が起こったぞ。オレがリレーの選手とは!自分はいままで運動で目立ったことなどないのに。人気先行といゆうやつか?タイガーマスクのように(たとえが古い)・・・」・・・だがまんざらでもなかった。
なぜ選ばれたかというと、まず1学年上に陸上部のとても足の速い従妹がいたからだ。専門は短距離走。大会で大活躍し全校集会では度々表彰されていた。他の運動部ならキャプテン(部長)が代表としてステージに上がるが、陸上部は個人競技なので本人がステージに上がった。当然目立った。
そのイメージから自分も速そうと思われたようだった。気のせいかもしれないが。自分は平均よりは速いが決して俊足ではなかった。春のスポーツテストで50mは6.95秒だった。平均は7.3~7.4秒ほどか。しかしある時体育の授業でも200m走など走る機会があり、ストライドを長めに走っていたのを印象に残したようだった。たしかほめてもらえた。今振り返ると、この時ストライドを長めにした時、速く走れていたのかも知れなかった。
高校時代は、追い風というか、流れに上手く乗っているというか、実力以上のものが出せる時期だったように思う。逆に思うようにうまくいかない時期もあるのだが・・・。